何も無い、事が・・・・

これ、といって最近はまっている作家さんが居ないことですし、
それは、せっかくの体系だてた読書のチャンスですので、
村上春樹の初期作品群を読むことを決めました。

関連エントリ
・ストックルーム・ヤード(村上春樹「1973年のピンボール」)
http://d.hatena.ne.jp/dynamite-ti/20080905/1220584135

・舞城の源流とおぼしきもの(村上龍限りなく透明に近いブルー」)
http://d.hatena.ne.jp/dynamite-ti/20081023/1224783395

と、いうわけでデビュー作のこれを読むことに。

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

ひと夏の女の子とのアヴァンチュールを描いた作品で。

なんというか。
海辺のカフカ」ほどのストーリー性に溢れているわけでも、
ノルウェイの森」ほどの喪失感全開、でもなく。

淡々とただ何気ないニチジョウを積み重ねて。
そこに村上春樹っぽさというか、緩やかな喪失が味わえる
そんな感じの作品イメージを持ちました。



さて、なぜ村上龍とか春樹の2作目とか出てきたか、、、というとです。

なんとなく、読み進めるうちに、一つの疑問が出てきたわけです。
「淡々としたニチジョウを描くことが、w村上のデビュー当時の文学シーンのブームではなかろうか?」と、言う。

なんというか、「海辺のカフカ」のようなストーリーとか、
ノルウェイの森」みたいな喪失感フルスロットルで精密な感じでもなく、
さりとて、私の大好きな大崎善生の「アジアンタム・ブルー」のように、
一つの喪失に収斂している感はそこまで感じられない。

とりあえず、「羊を巡る冒険」を読んで見て、また考えてみようと思います。