スカイ・クロラ

レアなケースですが、映画を見たので。
本当何年ぶりかわからないけど、映画を見ました。

たまたまチケットを入手する、という幸運にも恵まれたので。

で、スカイ・クロラです。

 関連エントリ (読書)「スカイ・クロラ
 http://d.hatena.ne.jp/dynamite-ti/20070929

  • 原作との対比と分析

私は、この映画のスカイ・クロラを、
原作に対して、押井守がその原作の特性を生かしながらも
ひとつの解釈例を示した映画、と見ました。

原作は、非常に多岐な解釈を許す作品だと思うのです。
それこそ、恩田陸の「ライオン・ハート」にある、「生き返っても、愛する」っていう
命題的なところ意外の部分、誰が誰を殺した、(実際に殺したかどうかは、完全に明確にはなってないはず。)とか。

原作では、だからシリーズの続編が作られたし、それでもまだ完全に世界が閉じずに、
スピンオフ短編集なスカイ・イクリプスで具体的にそれが見られたりするわけですが。

そんな複雑に絡まった、たくさんの面から見ることの出来るスカイ・クロラのひとつの見方を
押井守さんは出してくれたんだろうね。
ある意味での回答、でしょう。
いい意味で、この世界を閉じる、というかこの世界の解決編、といいますか。

  • 三ツ屋碧について

原作で私が大好きだった、そればかりにこんな事まで言っていた、三ツ屋碧に関して。

恩田陸の「ライオンハート」にも近い世界観だけど、恋人が、生まれ変わっても愛し合う。
永遠、かぁ。。。
それができないぼくたちは、
作中に出てくる三ツ屋碧のようにただただ恐れおののくのみなのだろう。
(それゆえに三ツ屋に同情する、という新しい読み方に気がついたのは面白かったかも。)
(E's cafe 出町店 2007年9月29日)

やはり、映画でも予想にたがわぬ、大活躍をしてくれました(笑)
彼女はこの作品を"外側から見る"上ではキーパーソンなのです。

まあ、詳しくは映画で。

  • 映像化の限界

さて、興味深いところではありますが、フーコと草薙に関して。
映像化されると、「けだるさ」と「若さ」は共存しづらいのも、面白かったです。
草薙の幼さを表さなきゃいけないのが、あったのでしょう。
だからこそ、映画ではクスミを前面に出してきた必要性があったのかも・・・・。