fragile adolescence

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

http://d.hatena.ne.jp/dynamite-ti/20080409/1207751173
前に紹介した、これでは、「自殺少女」の分析で出てきたのだが。

今回は、coccoをキーワードとして読後感を語ろうかと。
わたしもcoccoは好きだし、それゆえに感情的で分析になるかどうかはしりませんが。

ネットを見ると、こういう共感があるみたいだし。
http://d.hatena.ne.jp/blackthrush/20080222



さて、南条あやに共感されるcoccoについて。

こっこって、今のようにリストカットが社会問題化する過程で、椎名林檎とともに時代のアイコンとして捕らえる向きもあったアーティストだとは思うけど
http://d.hatena.ne.jp/K-N/20050818

ということも書かれている。
まあ、たしか「Raining」あたりでそれっぽい表現が歌詞の中にでてくるし、
ある意味でそういったイコンとしてcoccoが十分働くことは、
ある意味「お約束」的な前提として読後感を語ることにする。


この本、読みはじめがめちゃくちゃしんどかった。
リアルに気持ち悪くなりそうな感じでもあったし。

お薬でなんとか生き延びてる、メンヘラ少女。
その姿は、痛々しい「生きること」を切々と歌にこめたcoccoにも似て。

最初にcoccoの「カウントダウン」を聞いたときの、胃の辺りが気持ち悪かった感情が
よみがえってきた感じです。


っていうか、影響を受けることを望み、(それが読者の希望する像ととらえ?)
鬱々とした毎日をリストカットとお薬で暮らす。
南条がそうせざるを得なかった理由を考えることが
どれだけ意味のあることかは、わからないけど。

ただ、そういった記号(自傷女子高生、メンヘラ、とかね。)を身にまとうことで、
自分の社会への存在意義をネットに問う。
記号をまとうことが存在意義になる事。

まあ、そういったところが非常に興味深い。
ある意味、そういう風に読めなくも無くて。

巻末の香山リカの解説が秀逸です。

「読者に求められている、みんなに求められている」という喜びを感じると同時に、
「やっぱり誰も私を救ってくれないんだ」という絶望も深くなっていく
(解説 p316)
*1

読者にたいして語りかけることの2面性、支えになることと、救いにならないことを
香山はここで切々と分析を加えています。

共感を得た人が、「どうせ自分のことをわかってくれない」という自己否定を
加えてしまっている、「自分甘やかしヘタ」であると香山はここで述べています。*2


そういった人に対する救いの手段、認めてくれる人を探す努力をしてほしいと
いう香山の訴えかけが、わりと興味深かったり。
ある意味でいろいろと反省します。どーしても「いきづらい」人と仲良くなることが多いのですが、そいったときには、たとえば、違いの強調より類似点の強調を通じて「わかる」努力をアピールするとか。。。。