KYが嫌われるわけ。
- 作者: 土井隆義
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/03/06
- メディア: 新書
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前回とは打って変わって。まじめに。
- 現代社会では、「ともだちづきあい」という社会手段への帰属が
(ほぼ)ひとつに限定され、そしてその1個の中での関係が絶対的に強固であること。
- その絶対的な社会集団の調和を乱すことは、その社会集団には致命的であり、
集団の備え持つ秩序維持活動がいじめを生むこと。
- とりわけ、KYとか呼ばれちゃう子は、そういった集団秩序を崩しかねないらしいし。
(「空気」だよね。ある意味、その社会を律しているのは。)
だから、KYな子がいじめられたりする。
しかも、その自分が秩序崩壊をさせたことに罪悪感を持ちながら。
「いじめは現代社会構造に起因する必要悪」と考えてて、
「いじめられっこ」も、その社会の中である意味必要(秩序を維持する上で)なので
一見仲良しグループに見え、問題の発見が遅くなる、と考えていた私には面白い本でした。
昔、所属していた社会集団内において、いじめられたことがありまして。
「友人からいじめられる、自己を拒否される」ってのは、きついですよ。
まあ、ただこの本によると、いじめっ子たちも、「社会集団」を機能させるために、
(それがアイデンティティーだから)そしてその集団により自己肯定をしてもらうために、
集団を維持させる活動の中でKYな子をいじめるみたいですけどね。
いじめって、あるいみいじめられっこの自己を否定してかかる行為だし、
それはいじめっ子たちの自己肯定の代償としての犠牲だったりするみたいですが。
ただ、それで「自己肯定」ができなくなった「いじめられっ子」は
どうやって生きていくんでしょうね?
「グミ・チョコレート・パイン」に共感を寄せてしまうほど、
あまり上手く現代をサヴァイブできなかった私ですが、
もうちょい早く、そうやって自己肯定が崩壊する前にこの本を読みたかったかも。
そのころ、大人向けのこういった新書でも平気で読めるほどの読解力は備えてたし。
(それゆえに、読書とか内向なところの発達分、社会での生存が発達しなかったのかな?)
今以上にマセガキで、大塚英志の評論を西島大介のイラストに釣られて読んでしまうような
少年だった時代に。
そうしたら、もうちょい自我とかで苦しまなくてすんだんだけどなー。